大阪の市場が、待っていた頃。
大正から昭和にかけて、鳥飼のなすは市内に六十軒前後の作り手を抱えていました。大阪市内の市場へ運ばれ、評判をとった野菜です。夏になれば、この地区の畑はほとんどがなす畑でした。
手がかかりすぎる、という理由。
水を多く欲しがり、連作ができない。実が重く、枝が垂れて葉に擦れるだけで艶に傷がつく。だから夏のあいだは毎日、株ごとに枝を吊り、周りの脇芽と葉を落として回ることになります。一晩で大きくなる野菜なので、一日空ければその分だけ品質が落ちる。作り手が増えなかった理由は、味ではなく、この手間にありました。
昭和四十年代以降、市内の生産農家は一軒だけになりました。
産地の名前を、産地で守る。
いま、市の農業振興会とともに栽培が続けられ、作り手は少しずつ増えています。小学三年生への植え付け指導、幼稚園・保育所・市民農園への苗の配布。食べたことのある子どもを増やすことが、いちばん遠回りで、いちばん確実な保存だと考えています。
高架の下に畑があり、その向こうにマンションが建つ。それでもここは、鳥飼なすの原産地です。
料理人の手に渡ってから。
定番は田楽。けれど近ごろは、市内の料理人が思いもよらない一皿に仕立ててくれます。厨房まで直接仕入れに来る方もいます。産地を名乗れる野菜は、食べる場所があってはじめて産地でいられる——そう教わりました。